top of page
執筆者の写真これぽーと

東京国立近代美術館:黙認耕作地における二重支配(田中真由美)

東京竹橋の東京国立近代美術館には、先の大戦で我が国の芸術家たちによって描かれ、戦後アメリカから無期限貸与で返還された戦争記録画が153点ある。これらの絵画はプロパガンダとみなされれば廃棄されるところだったが、両国の間で折衝が続けられ1970年に当館に保管されることになった。所蔵作品展である「MOMATコレクション」ではそのうちの数点が毎回展示され、鑑賞者が必ず戦争の記憶を通過する導線となっている。今回レポートするのは2024年4月16日から8月25日に公開された所蔵作品展で、筆者が興味をそそられたのは2階11室の「黙(らない)、認(めない)」というテーマのなかで展示された山城知佳子《肉屋の女》(2016年)の、戦争画との関係性/位置付けについてである。


《肉屋の女》(ティザー映像はこちら)は27分の映像作品で、沖縄の米軍基地内の「黙認耕作地」にある闇市が舞台となっている。黙認耕作地とは沖縄での地上戦後に米軍が強制接収した軍用地のうち、元の地権者による土地の耕作が黙認された区域を指す。作品内で繰り広げられるのは、この様々な人が共生する自由な空間であり、無法地帯でもある場における暴力やジェンダーのテーマである。米軍に支配される日本人男性が女性を二重に支配してしまう構図の下、エロスとタナトスが交差し、そこからの女性たちの束の間の連帯と自浄が映し出されている。はじまりで海を彷徨っていた複数の肉塊は、おわりで水底から手を取り合って浮上する女たちの泳ぎとその解散に重なるつくりとなっている。その「肉の循環」は支配/被支配の主客混融による土地の力を信頼することで得られる癒しと、軍国の全体主義的傾向とは異なる方法での抵抗のあり方を描き出すかのようだ。


《肉屋の女》を含めた11室を抜けると、最終12室には「作者が語る」のテーマの下、菊畑茂久馬・中村宏の反芸術/ルポルタージュ絵画と、辰野登恵子・堂本右美の抽象絵画が男女が交差するように、それぞれ向かい合うかたちで位置取っている。その空間の裏小部屋では、加藤翼による東日本大震災の津波で失われた灯台を廃材で再現した二分の一模型が、住民たちによってロープで立ち上がる「祭」の映像《The Lighthousesー11.3PROJECT》(2011/18年)が上映されている。上階の戦争画や小特集のプレイバック「日米抽象美術展」(1955年)などを経てここに辿り着くと、その屹立は敗戦国からの立ち直りにも、抽象空間でのエレクトにも重なって見える。この12室を構成する絵画群における支持体自体が、戦争という現実と抽象画という文化的浸食のせめぎあう黙認耕作地なのではないか、と思えてくるのだ。

展示風景(右端:中村宏《基地》1957年、油彩・合板)


展示風景(左端:辰野登恵子《UNTITLED 94-6》1994年、油彩・キャンバス)


「MOMATコレクション」展は重要文化財指定作品を揃えた1室の「ハイライト」、大正時代の個性主義の幕開けとなる2室の「1910年代ー個への目覚めと多様性」をテーマとしてのち、3室「大戦とバブル」でもまだ第一次世界大戦に直接関わる作品はほとんど見られない。むしろ3室ー5室では海外からの影響を受けた前衛傾向の高まり、関東大震災後の東京の流行の最先端、パリのサロンに挑んだ日本人画家たちの滞欧作品など、戦争の好景気による海外の事態への無関心が感じられる。6室のテーマ「興亜のまぼろし」にて、いよいよ第二次世界大戦下の戦争画を眼にすることになるが、それらは悲惨な現実を描いているはずが、キャプションにもあるようにどこかリアルとフィクションがないまぜになったドラマの印象が強い。和田三造の《興亜曼荼羅》(1940年)にみる大東亜共栄圏では、アジアに君臨する日本の象徴として描き込まれる巨大な彫像が、なぜか西欧の古典に依拠した白大理石の馬車の姿をしており、帝国主義に対する憧憬と抑圧がアジア諸国に対する後発性帝国主義として支配の二重性を負っていることが見て取れる。

和田三造《興亜曼荼羅》1940年、油彩・キャンバス


そうした政治性から一転、7・8室では戦後の1955年に開催された「日米抽象美術」展の資料や記録のほか、それらを元に制作された展覧会の再現VRが見られる。両国の抽象美術の現在形を対比的に検証する構成だったらしく、当時の新聞や雑誌でも展覧会評や議論が交わされていた様子が伺える。このように戦争という具体的な史実を離れ、抽象によるメタ構造での対比/検証が両国の間で行われたことは何を意味するのであろう。キャンバスという作家にとっての自由耕作地においてもある種の文化占領が忍び寄り、黙認耕作地への変化が起こっていたとしたら。戦前には肩を並べようと摂取された海外の動向が、自分たちの表現を外から規定する縄抜けすべき縛りとなってからが本番と言えようか。12室で辰野登恵子の《UNTITLED 94-6》(1994年)をもう一度振り返ってみよう。キャンバスの四角を反復する矩形で区切られた菱形空間の内と外の関係性が物語るように、抽象表現主義の影響下で新しい表現を模索しもがくことは、自由であり無法地帯でもありうる黙認耕作地としての支持体が持つ支配の二重性と闘う、もうひとつの戦争画の可能性ではなかったか。


12室で展開される、男性作家である菊畑・中村が見せる抵抗の政治性と、女性作家である辰野・堂本のある意味、敵の懐に入るかたちでの抽象による闘いの交差は、大戦時の戦争画が起きてしまった歴史の芸術であるのに対し、彼らはそれに並走する芸術の歴史を闘っているように思われる。政治的な出来事を扱えば政治的であるというのは単絡的だということを、今回の所蔵作品展は教えてくれる。黙認に泳がされ同じ支配の轍を踏むことへの抵抗をいかに生きるか、そのリアルとフィクションがないまぜのドラマとは別の可能性を山城の《肉屋の女》は描き出す。彼女のこの作品が単なる男性の告発を越えた政治性とエロスへと拡がりを持つのは、支配の二重性を自覚しつつ闘っているからである。そのような自覚を生きようとする「個」と、軍国主義から敗戦国のインポテンツという戦傷への居直りまでを含めた暴力の正当化に無自覚な「全体」。この両者の批評的な往還を欠いた戦争画はおそらく加害の合わせ鏡にしかならないことを、79回目の終戦の日に嚙み締めたい。


※写真は筆者・編集部撮影

 

会場・会期

東京国立近代美術館 所蔵作品展「MOMATコレクション」

2024年4月16日~8月25日

 

・執筆者プロフィール

田中真由美(たなかまゆみ)

絵描き。保育士として働きながらオルタナティブスペースPARAに通う。

多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

作品集に『コトノハソウシ。』がある。








Comments


bottom of page